昭和の歌手100人 | 演歌好太郎の演歌道 https://kashumeikan.wiki 演歌・歌謡曲に特化した歌手情報 Sat, 06 Sep 2025 04:53:14 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.8.2 市丸|「ビクターの鶯」と謳われた伝説の芸者歌手 https://kashumeikan.wiki/ichimaru/ Sat, 06 Sep 2025 04:53:14 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1578 市丸は、粋な美貌と「ビクターの鶯」と称された澄んだ歌声で心を震わせる伝説の芸者歌手です。代表曲「天龍下れば」で一世を風靡し、戦後は「三味線ブギウギ」を大ヒットさせました。ライバルであった小唄勝太郎と共に「勝市時代」を築き、昭和初期の歌謡界に君臨。その歌声は、古き良き日本の情緒を今に伝える貴重な文化遺産となっています。

プロフィール

芸名 市丸(いちまる)
本名 後藤 まつゑ(ごとう まつえ)
出身地 岐阜県岐阜市
生年月日 1906年7月16日(1997年2月17日没、享年90)
血液型 情報なし
身長
レーベル ビクター
所属事務所
尊敬する歌手
趣味・特技 端唄、小唄
デビュー 1931年
デビュー曲 花嫁東京
公式サイト ビクターエンタテインメント | 市丸
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube なし
ファンクラブ なし
別名 江戸小唄市丸、ビクターの鶯
関係者 小唄勝太郎(ライバル)

市丸の来歴|昭和の歌謡史を彩った軌跡

浅草の芸者から歌手へ

10代で長野県の温泉地で半玉(芸者の見習い)としてキャリアをスタートさせ、その後上京し、東京・浅草の芸者となりました。その美貌と優れた芸で瞬く間に人気芸者となり、文人や著名人など多くの顧客に愛されました。その評判がレコード会社の目に留まり、1931年にビクターレコードから「花嫁東京」で歌手としてデビュー。芸者としての高い人気と実力が、歌手としての成功への大きな足掛かりとなりました。

「天龍下れば」と黄金時代

1933年に発表した「天龍下れば」が、当時の流行作曲家・中山晋平の曲であったこともあり、空前の大ヒットを記録。この曲で市丸は一躍スター歌手の座に上り詰めました。同じくビクターに所属していた芸者歌手の小唄勝太郎と共に「勝市時代」と呼ばれる一時代を築き、昭和初期の歌謡界を牽引する存在となります。その澄んだ美しい歌声は「ビクターの鶯」と称され、多くの人々を魅了しました。

戦後の活躍と「三味線ブギウギ」

戦時中も歌手活動を続け、戦後はその人気がさらに高まります。1949年に服部良一作曲の「三味線ブギウギ」を発表。三味線の音色とモダンなブギウギのリズムが融合したこの曲は、戦後の明るい世相を象徴する大ヒットとなり、市丸の新たな代表曲となりました。この曲は美空ひばりをはじめ多くの歌手にカバーされ、時代を超えて愛される名曲となっています。

伝統芸能の継承者として

歌手活動の一方で、江戸時代から続く日本の伝統音楽である端唄や小唄の発展と継承にも尽力しました。1950年には自身の名を冠した「江戸小唄市丸派」を創設し、家元として後進の指導にあたりました。その功績が認められ、1981年には勲四等宝冠章を受章。晩年まで精力的に活動を続け、日本の伝統音楽の保存に大きく貢献しました。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
1949/10/– 三味線ブギウギ 佐伯孝夫 服部良一 服部良一 圏外
1936/–/– ちゃっきり節 北原白秋 町田嘉章 圏外
1933/–/– 天龍下れば 長田幹彦 中山晋平 圏外
1931/–/– 花嫁東京 西條八十 中山晋平 圏外

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2005/06/22 “SP盤復刻”絕唱!市丸 天龍下れば、三味線ブギウギ、ちゃっきり節 など
1995/03/24 市丸 全曲集 天龍下れば、三味線ブギウギ、伊那節、ちゃっきり節 など

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
現時点でリリース情報は取得できませんでした

受賞歴

  • 1970年 第12回日本レコード大賞 特別賞
  • 1972年 紫綬褒章
  • 1981年 勲四等宝冠章

ライブ・コンサート・イベント情報

日時 会場 イベント名
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芦屋雁之助|裸の大将と「娘よ」で愛された国民的芸人 https://kashumeikan.wiki/ashiya-gannosuke/ Sat, 06 Sep 2025 02:29:14 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1576 芦屋雁之助は、人情味あふれる演技と心に沁みる歌声で心を震わせる昭和の国民的エンターテイナーです。テレビドラマ「裸の大将放浪記」での山下清役はあまりにも有名で、その温かいキャラクターは多くの人々に愛されました。歌手としては、ミリオンセラーを記録した「娘よ」が代表曲であり、その歌声は今なお世代を超えて語り継がれています。

プロフィール

芸名 芦屋雁之助(あしや がんのすけ)
本名 西部 清(にしべ きよし)
出身地 京都府京都市
生年月日 1931年5月29日(2004年4月7日没、享年72)
血液型
身長
レーベル ミノルフォン→テイチク
所属事務所 雁之助プロダクション(最終)
尊敬する歌手
趣味・特技
デビュー 1954年(漫才師として)
デビュー曲
公式サイト なし
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube なし
ファンクラブ なし
別名
関係者 芦屋小雁(実弟)、芦屋雁平(元弟子)

芦屋雁之助の来歴|昭和の芸能界を駆け抜けた軌跡

喜劇役者としての出発

京都府で生まれ育ち、戦後、実弟の芦屋小雁らと共に漫才コンビを結成し、芸能活動を開始しました。その後、演劇の世界に活動の軸足を移し、1959年には小雁らと「劇団“笑いの王国”」を結成。これが後の「松竹新喜劇」へと繋がり、藤山寛美らと共に上方喜劇の黄金時代を築き上げました。人情味あふれる役柄を得意とし、舞台役者として確固たる地位を築きます。

「裸の大将」で国民的スターへ

彼の名を不動のものにしたのが、1980年から放送されたテレビドラマ「裸の大将放浪記」です。放浪の画家・山下清をモデルにした主人公を演じ、その純粋で心優しいキャラクターは日本中のお茶の間で愛されました。この役は彼のライフワークとなり、約17年間にわたって演じ続け、国民的俳優としてのイメージを決定づけました。

歌手としてのミリオンヒット「娘よ」

俳優業と並行して歌手としても活動していましたが、1984年にリリースした「娘よ」が社会現象となる大ヒットを記録します。嫁ぐ娘への父親の愛情を訥々と語りかけるように歌ったこの曲は、多くの人々の涙を誘い、150万枚を超えるミリオンセラーとなりました。このヒットで、同年の第26回日本レコード大賞で特別賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしました。

晩年

晩年も舞台やテレビドラマで精力的に活動を続け、円熟した演技で多くのファンを魅了しました。2004年4月7日、京都府内の病院で心不全のため逝去。享年72歳でした。喜劇役者として、そして歌手として、昭和の芸能史に大きな足跡を残した彼の温かい人柄と芸は、今もなお多くの人々の心の中に生き続けています。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
1986/09/21 憂き世ばなし 星野哲郎 叶弦大 圏外
1985/08/21 夫婦ばなし 松井由利夫 岡千秋 圏外
1984/02/21 娘よ 鳥井実 松浦孝之 池多孝春 4位
1972/–/– コップ酒 松井由利夫 圏外

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2004/08/25 芦屋雁之助/全曲集 娘よ、夫婦ばなし、憂き世ばなし、コップ酒 など
1984/–/– 娘よ 娘よ、おやじのロック、お酒まくら、まわり道 など

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
2008/01/25 裸の大将 DVD-BOX 上巻 「裸の大将放浪記」シリーズ
2008/02/22 裸の大将 DVD-BOX 中巻 「裸の大将放浪記」シリーズ
2008/03/21 裸の大将 DVD-BOX 下巻 「裸の大将放浪記」シリーズ

受賞歴

  • 1984年 第26回日本レコード大賞 特別賞(娘よ)
  • 1984年 第17回日本有線大賞 有線音楽賞
  • 1984年 第15回日本歌謡大賞 放送音楽賞

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井沢八郎|「あゝ上野駅」で時代を歌った望郷演歌の星 https://kashumeikan.wiki/izawa-hachiro/ Fri, 05 Sep 2025 14:31:10 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1570 井沢八郎は、力強く伸びやかな高音で心を震わせる昭和の演歌歌手です。代表曲「男船」でデビューし、不朽の名作「あゝ上野駅」で時代の寵児となりました。この曲は集団就職で上京した若者たちの心情を歌い上げ、「心の応援歌」として社会現象になるほどの大ヒットを記録。その歌声は、昭和という時代を象徴する伝説として今なお語り継がれています。

プロフィール

芸名 井沢八郎(いざわ はちろう)
本名 工藤 金一(くどう きんいち)
出身地 青森県弘前市
生年月日 1937年3月18日(2007年1月17日没、享年69)
血液型
身長
レーベル 東芝音楽工業
所属事務所
尊敬する歌手
趣味・特技
デビュー 1963年
デビュー曲 男船
公式サイト なし
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube なし
ファンクラブ なし
別名
関係者 工藤夕貴(長女)、工藤正貴(長男)、青羽美代子(妻)

井沢八郎の来歴|昭和の歌謡界を駆け抜けた軌跡

デビュー前

青森県弘前市に生まれ、中学生の頃からその歌唱力は地元で評判でした。 歌手を志して中学校卒業後に上京し、バンドマンとしてベースを弾きながら、作曲家の大沢浄二氏に師事し夢を追い続けました。 この下積み時代に培われた音楽経験と、故郷を離れて都会で頑張る自身の境遇が、後の彼の歌に深い説得力をもたらすことになります。

「あゝ上野駅」での大ヒット

1963年に「男船」で東芝音楽工業からデビューを果たします。 そして1964年、彼の運命を決定づける一曲と出会います。 それが、集団就職で上京する若者たちの望郷の念を歌った「あゝ上野駅」です。 この曲は「金の卵」と呼ばれた若者たちの共感を呼び、空前の大ヒットを記録。 井沢八郎の名を全国に知らしめると共に、高度経済成長期の日本を象徴する国民的愛唱歌となりました。 このヒットにより、翌年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たしています。

その後の活躍と晩年

「あゝ上野駅」の後も、「北海の満月」や「男傘」といったヒット曲を世に送り出しました。 しかし、時代の変化と共に、かつてのような大ヒットには恵まれず、不遇の時代も経験しました。 晩年は、懐メロ番組などで再びその姿を見せる機会が増え、「あゝ上野駅」が昭和を代表する名曲として再評価されます。 2007年1月17日、食道がんのため逝去。 奇しくもその日は長女・工藤夕貴さんの誕生日であり、病床で最後に「おめでとう」と伝えたという逸話が残っています。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
1966年 さいはての男 圏外
1965年 北海の満月 圏外
1964年 男傘 圏外
1964年5月 あゝ上野駅 関口義明 荒井英一 圏外
1963年 男船 松井由利夫 大沢浄二 圏外

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
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DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
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受賞歴

  • 1964年 第6回日本レコード大賞 新人賞(あゝ上野駅)
  • 2007年 第49回日本レコード大賞 特別功労賞

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渥美二郎|甘く切ない歌声で綴る人生の歌 https://kashumeikan.wiki/atsumi-jiro/ Thu, 04 Sep 2025 16:32:17 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1566

渥美二郎は、甘く切ない独特の歌声と哀愁漂う表現力で心を震わせる演歌歌手です。代表曲「夢追い酒」「釜山港へ帰れ」、そして最新曲「千住ブルース」で見せる表現力は圧巻です。近年は大病を克服し、演歌師時代から培った豊富なレパートリーとギター演奏を交えた精力的なコンサート活動でも注目を集めています。

プロフィール

芸名 渥美二郎(あつみ じろう)
本名 渥美 敏夫(あつみ としお)
出身地 東京都足立区
生年月日 1952年8月15日(73歳)
血液型 AB型
身長
レーベル 日本コロムビア
所属事務所 アツミ・ミュージック・プロモーション
尊敬する歌手
趣味・特技
デビュー 1976年10月21日
デビュー曲 可愛いおまえ
公式サイト 渥美二郎オフィシャルホームページ
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube なし
ファンクラブ 情報なし
別名 千寿二郎(ペンネーム)
関係者 遠藤実(師匠)

渥美二郎の来歴|演歌界を彩った軌跡

演歌師としての下積み時代

東京都足立区で演歌師の父親のもとに生まれ、物心ついた頃には多くの演歌師たちと共に生活を送っていました。 16歳で高校を中退し、自身もギターを片手に酒場を歌い歩く「演歌師」としてプロの道へ進みます。 地元・北千住などを拠点に8年間活動し、1000曲以上といわれる豊富なレパートリーと歌唱力をこの下積み時代に培いました。 この経験が、後の彼の音楽性の大きな土台となっています。

「夢追い酒」での大ブレイク

作曲家・遠藤実氏に師事し、1976年に「可愛いおまえ」で念願のレコードデビューを果たします。 しかし、すぐにはヒットに恵まれませんでした。 1978年に発売された3枚目のシングル「夢追い酒」が、じわじわと人気を集め、発売翌年から爆発的な大ヒットとなります。 最終的に売上枚数は約280万枚を記録し、この曲で1979年の第21回日本レコード大賞ロング・セラー賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしました。 その後も「釜山港へ帰れ」などヒットを続け、人気歌手の地位を確立します。

病魔との闘いと復帰

順風満帆な歌手活動を送っていた1989年、スキルス性胃がんと診断され、胃の全摘出手術を受けるという大きな試練に見舞われます。 壮絶な闘病生活を乗り越え、不屈の精神で見事に復帰。この経験は彼の歌にさらなる深みと説得力を与えました。 復帰後は、命の大切さや人との絆をテーマにした楽曲も歌い、多くの人々に勇気と感動を与えています。また、阪神・淡路大震災のチャリティーコンサートを長年にわたり開催するなど、社会貢献活動にも力を注いでいます。

現在

2016年に歌手生活40周年、2017年には演歌師として歌い始めて50周年という大きな節目を迎え、精力的に記念コンサートを開催しました。 現在も、演歌師時代に培ったギターの弾き語りや、軽妙なトークを交えたステージで全国のファンを魅了し続けています。 2024年7月には、自身の故郷への想いを込めた新曲「千住ブルース」をリリースするなど、その創作意欲は衰えることなく、円熟味を増した歌声で演歌の道を歩み続けています。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
2024/07/24 千住ブルース 千寿二郎 千寿二郎 矢田部正 圏外
2022/09/21 涙色のタンゴ 麻こよみ 桧原さとし 竹内弘一 圏外
2021/11/17 奥の細道 千寿二郎 千寿二郎 矢田部正 圏外
2019/10/23 永遠鉄道 かず翼 岡千秋 南郷達也 圏外
2018/08/22 昭和時次郎 小関理樹 林伊佐緒 桜庭伸幸 圏外
2017/05/24 涙色のタンゴ 麻こよみ 桧原さとし 竹内弘一 圏外
2015/05/20 涙色のタンゴ 麻こよみ 桧原さとし 竹内弘一 圏外
2014/12/17 奥の細道 千寿二郎 千寿二郎 矢田部正 圏外
2010/06/23 愛が欲しい 千寿二郎 千寿二郎 矢田部正 圏外
1983/09/01 釜山港へ帰れ 三佳令二 黄善友 斉藤恒夫 圏外
1981/01/21 他人酒 水木かおる 遠藤実 斉藤恒夫 圏外
1979/06/21 忘れてほしい 水木かおる 遠藤実 京建輔 圏外
1978/02/25 夢追い酒 星野栄一 遠藤実 只野通泰 圏外
1976/10/21 可愛いおまえ 山田孝雄 遠藤実 京建輔 圏外

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2023/11/22 渥美二郎 全曲集 涙色のタンゴ 涙色のタンゴ、奥の細道、永遠鉄道、夢追い酒、釜山港へ帰れ など
2021/04/07 新・演歌師2~渥美二郎弾き語りラテンメロディー コンガと共に~ ベサメ・ムーチョ、コーヒールンバ、キサス・キサス・キサス など
2019/02/20 新・演歌師 ~歌とギターとパーカッション~ 北上夜曲、君恋し、知りすぎたのね、カスバの女、骨まで愛して など
2014/12/17 演歌師セレクション 奥の細道、千住ブルース、夢追い酒、釜山港へ帰れ など

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
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受賞歴

  • 1977年 第2回大阪演歌祭 歌唱賞
  • 1977年 第10回新宿音楽祭 銅賞
  • 1979年 第21回日本レコード大賞 ロング・セラー賞(夢追い酒)
  • 1979年 FNS歌謡祭 優秀歌唱賞
  • 1979年 第12回日本有線大賞 ベストヒット賞

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ライブ・コンサート・イベント情報

日時 会場 イベント名
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石川さゆり|時代を超えて愛される日本を代表する歌姫 https://kashumeikan.wiki/ishikawa-sayuri/ Fri, 05 Sep 2025 18:42:09 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1572 石川さゆりは、魂を揺さぶる圧倒的な歌唱力と、聴く者の心に深く刻まれる表現力で、日本の音楽界に君臨し続ける歌手です。代表曲「津軽海峡・冬景色」「天城越え」、そして最新曲「弥栄ヤッサイ / 棉の花」で見せる世界観は圧巻です。デビュー50周年を超えてもなお、演歌の枠にとらわれず挑戦を続け、その歌声は世代を超えて多くの人々を魅了しています。

プロフィール

芸名 石川さゆり(いしかわ さゆり)
本名 石川 絹代(いしかわ きぬよ)
出身地 熊本県熊本市
生年月日 1958年1月30日(67歳)
血液型 A型
身長
レーベル テイチクエンタテインメント
所属事務所 さゆり音楽舎
尊敬する歌手
趣味・特技
デビュー 1973年3月25日
デビュー曲 かくれんぼ
公式サイト 石川さゆり 公式ウェブサイト
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram 石川さゆり (@sayuri_ishikawa_official)
YouTube 石川さゆり – YouTubeチャンネル
ファンクラブ オフィシャルファンクラブ
別名
関係者

石川さゆりの来歴|演歌界を彩った軌跡

デビュー初期

熊本県出身の石川さゆりは、小学生の時に観た島倉千代子の歌謡ショーに感動し、歌手を志します。 フジテレビの「ちびっ子歌謡大会」で合格したことをきっかけに芸能界入りし、1973年3月25日に「かくれんぼ」でアイドル歌手としてデビューしました。 しかし、当時は「花の中三トリオ」が絶大な人気を誇っており、大きなヒットには恵まれませんでした。 厳しい下積み時代を送りながらも、歌手としての実力を着実に蓄えていきました。

「津軽海峡・冬景色」での大ブレイク

デビューから4年後の1977年、彼女の運命を大きく変える一曲が誕生します。それが「津軽海峡・冬景色」です。 この楽曲が社会現象ともいえる大ヒットを記録し、第19回日本レコード大賞歌唱賞をはじめとする数々の音楽賞を総なめにしました。 同年のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たし、一躍トップスターの仲間入りを果たします。 この成功を機に、彼女は日本を代表する演歌歌手としての道を力強く歩み始めました。

「天城越え」と不動の地位

「津軽海峡・冬景色」のヒット後も、「能登半島」など数々のヒット曲を世に送り出しましたが、1986年に発表された「天城越え」は彼女のもう一つの代表作となりました。 情念の世界を圧倒的な歌唱力で歌い上げたこの曲は、カラオケの定番曲としても広く親しまれ、石川さゆりの評価を絶対的なものにしました。この曲で再び日本レコード大賞金賞を受賞するなど、その実力を見せつけました。

現在|進化し続ける歌姫

デビュー50周年を超えた現在も、その活躍はとどまることを知りません。NHK紅白歌合戦には40年以上連続で出場を続けるなど、国民的歌手としての存在感は絶大です。 近年は演歌の枠にとらわれず、奥田民生や布袋寅泰といった異ジャンルのアーティストとも積極的にコラボレーションを行うなど、常に新しい音楽表現に挑戦し続けています。その進化し続ける歌声は、これからも多くの人々の心を打ち、日本の音楽シーンを照らし続けることでしょう。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
2025/03/05 弥栄ヤッサイ / 棉の花 もず唱平 浜圭介 矢野立美 圏外
2024/05/15 とこしえの旅 / 朝日楼 いしわたり淳治 / 山崎ハコ ジェイク・シマブクロ / 山崎ハコ 亀田誠治 / 安田裕美 圏外
2023/10/18 越後瞽女 / ごんたのバラード 喜多條忠 / 宇崎竜童 岡千秋 / 宇崎竜童 若草恵 / 斎藤ネコ 圏外
2023/04/19 約束の月 / みち今もなお夢を忘れず 田久保真見 / 阿木燿子 岡千秋 / 宇崎竜童 伊戸のりお / 斎藤ネコ 圏外
2022/03/25 残雪 加藤登紀子 加藤登紀子 斎藤ネコ 44位
2021/04/21 獨り酒 吉岡治 岡千秋 伊戸のりお 38位
1986/07/21 天城越え 吉岡治 弦哲也 桜庭伸幸 25位
1985/06/21 波止場しぐれ 吉岡治 岡千秋 斉藤恒夫 39位
1977/09/01 暖流 阿久悠 三木たかし 三木たかし 3位
1977/05/10 能登半島 阿久悠 三木たかし 三木たかし 2位
1977/01/01 津軽海峡・冬景色 阿久悠 三木たかし 三木たかし 1位
1973/03/25 かくれんぼ 山上路夫 猪俣公章 栗田俊夫 圏外

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2023/03/31 Transcend 津軽海峡・冬景色、天城越え、ウイスキーが、お好きでしょ、風の盆恋歌 など
2022/03/25 石川さゆり 50周年記念ベスト盤 津軽海峡・冬景色、天城越え、ウイスキーが、お好きでしょ、風の盆恋歌 など
2021/05/19 X-Cross IV- 獨り酒、愛されるために君は生まれた(with KREVA) など

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
2025/08/29 事件ファイル 110 甘ったれるな コレクターズDVD HDリマスター版

受賞歴

  • 1977年 第19回日本レコード大賞 歌唱賞(津軽海峡・冬景色)
  • 1977年 第8回日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞(津軽海峡・冬景色)
  • 1977年 FNS歌謡祭 最優秀グランプリ(津軽海峡・冬景色)
  • 1985年 第27回日本レコード大賞 最優秀歌唱賞(波止場しぐれ)
  • 1986年 第28回日本レコード大賞 金賞(天城越え)
  • 2019年 紫綬褒章

メディア出演・話題の番組

関連ニュース

ライブ・コンサート・イベント情報

日時 会場 イベント名
2025年9月9日(火) J:COMホール八王子(東京都) 石川さゆりコンサート2025
2025年10月17日(金) 春日井市民会館(愛知県) 石川さゆりコンサート
2025年10月31日(金) ティアラこうとう 大ホール(東京都) 石川さゆりコンサート
2025年11月8日(土) 成田国際文化会館 大ホール(千葉県) 石川さゆりコンサート ~極上のアンサンブル~
2026年1月4日(日) 森ノ宮ピロティホール(大阪府) 石川さゆりコンサート
2026年2月1日(日) 磐田市民文化会館 かたりあ(静岡県) 石川さゆりコンサート

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朝丘雪路|多彩な才能で昭和を彩った永遠のエンターテイナー https://kashumeikan.wiki/asaoka-yukiji/ Fri, 05 Sep 2025 05:03:19 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1568

朝丘雪路は、女優、歌手、舞踊家として、その洗練された美貌と多彩な才能で心を震わせる昭和を代表するエンターテイナーです。代表曲「雨がやんだら」で見せるアンニュイな歌声は多くの人々を魅了しました。伝説の深夜番組「11PM」の司会者として見せた知的で上品なお色気は、彼女のアイコンとなり、一世を風靡しました。

プロフィール

芸名 朝丘雪路(あさおか ゆきじ)
本名 加藤 雪会(かとう ゆきえ)
出身地 東京都中央区
生年月日 1935年7月23日(2018年4月27日没、享年82)
血液型 O型
身長 160cm
レーベル CBS・ソニー
所属事務所 グランパパプロダクション(最終)
尊敬する歌手
趣味・特技 日本舞踊(深水流家元)、絵画
デビュー 1952年(宝塚歌劇団入団)
デビュー曲 高原の宿(1955年)
公式サイト なし
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube なし
ファンクラブ なし
別名
関係者 伊東深水(父)、津川雅彦(夫)、真由子(長女)、長門裕之(義兄)、南田洋子(義姉)

朝丘雪路の来歴|昭和の芸能界を駆け抜けた軌跡

宝塚から映画女優へ

日本画の大家、伊東深水を父に持ち、幼少期から日本舞踊や絵画に親しむ芸術的な環境で育ちました。1952年に宝塚歌劇団に入団し、娘役スターとして活躍。その美貌と華やかな存在感で早くから注目を集めました。1955年に宝塚を退団すると、映画界に活躍の場を移し、日活や東宝の作品に多数出演。お嬢様役からコメディエンヌまでこなす幅広い演技力で、人気女優としての地位を確立しました。

「11PM」とお茶の間のスターに

女優業と並行して歌手としても活動していましたが、彼女の名を全国的にしたのは、1966年から司会を務めた日本テレビの伝説的深夜番組「11PM」です。番組内で見せる上品な色気と知的な会話、そして「雪路スタイル」と呼ばれる斬新なファッションは大きな話題を呼びました。彼女の存在そのものが番組のアイコンとなり、お茶の間の絶大な人気を獲得しました。

歌手としての成功と晩年

1970年にリリースした「雨がやんだら」が、オリコン週間チャート1位を獲得する大ヒットを記録。アンニュイで独特の雰囲気を持つこの曲は、彼女の歌手としての代表作となりました。この曲で同年のNHK紅白歌合戦にも出場を果たします。私生活では1973年に俳優の津川雅彦と結婚。おしどり夫婦として知られ、芸能界のビッグカップルとして常に注目を集めました。晩年まで女優、タレントとして活躍し続けましたが、2018年4月27日、アルツハイマー型認知症のため82歳でその生涯に幕を閉じました。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
1977/–/– ごめんなさい なかにし礼 川口真 馬飼野俊一 圏外
1971/09/21 朝まで待って 阿久悠 筒美京平 筒美京平 48位
1970/10/21 ふりむいてもくれない 筒美京平 筒美京平 筒美京平 10位
1970/05/21 雨がやんだら なかにし礼 筒美京平 筒美京平 1位
1969/11/– おとなの会話(with 伊藤隼也) なかにし礼 鈴木邦彦 鈴木邦彦 圏外
1967/03/– 初めての日のように 永六輔 中村八大 中村八大 圏外
1955/–/– 高原の宿 圏外

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2004/09/01 GOLDEN☆BEST 朝丘雪路 筒美京平を歌う 雨がやんだら、ふりむいてもくれない、朝まで待って、おとなの会話 など
1971/–/– 男・女・経験
1970/–/– 雨がやんだら 雨がやんだら、さいはての女、白い街、悲しみを知った女 など

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
現時点でリリース情報は取得できませんでした

受賞歴

  • 1970年 第12回日本レコード大賞 作曲賞(「雨がやんだら」の作曲者・筒美京平が受賞)
  • 1970年 第3回日本有線大賞 大衆賞

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青江三奈|ため息とハスキーボイスで魅了したブルースの女王 https://kashumeikan.wiki/aoe-mina/ Thu, 04 Sep 2025 02:58:16 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1564

青江三奈は、その特徴的なハスキーボイスと官能的なため息で心を震わせる伝説の歌手です。代表曲「伊勢佐木町ブルース」「池袋の夜」などで見せる表現力は圧巻で、「ブルースの女王」として昭和の歌謡界に不動の地位を築きました。ミリオンセラーを連発し、一時代を築いた彼女の歌声は、今なお多くの人々を魅了し続けています。

プロフィール

芸名 青江三奈(あおえ みな)
本名 井原 静子(いはら しずこ)
出身地 東京都江東区
生年月日 1941年5月7日(2000年7月2日没、享年59)
血液型 A型
身長
レーベル ビクターエンタテインメント
所属事務所
尊敬する歌手
趣味・特技
デビュー 1966年
デビュー曲 恍惚のブルース
公式サイト ビクターエンタテインメント | 青江 三奈
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube なし
ファンクラブ なし
別名 ブルースの女王
関係者 川内康範(作詞家・芸名の名付け親)

青江三奈の来歴|演歌界を彩った軌跡

デビューと「伊勢佐木町ブルース」での大ブレイク

高校卒業後、百貨店勤務を経てクラブ歌手として活動を開始しました。1966年に「恍惚のブルース」でデビューし、ハスキーボイスで歌い上げるブルース演歌が評判となり、80万枚を売り上げるヒットを記録します。そして1968年、冒頭の色っぽい「ため息」が大きな話題を呼んだ「伊勢佐木町ブルース」が100万枚を超えるミリオンセラーとなり、一躍トップスターの座に駆け上がりました。この曲で日本レコード大賞歌唱賞など、数々の音楽賞を受賞しました。

ブルースの女王、そして紅白の常連へ

「伊勢佐木町ブルース」の翌年には「長崎ブルース」「池袋の夜」も立て続けにミリオンセラーを記録し、特に「池袋の夜」は150万枚を売り上げる自身最大のヒット曲となりました。これにより史上初の2年連続日本レコード大賞歌唱賞を受賞するという快挙を成し遂げます。「ブルースの女王」の異名は不動のものとなり、NHK紅白歌合戦には通算18回出場、そのうち16回は連続出場という記録を残し、昭和を代表する国民的歌手としての地位を確立しました。

晩年と後世への影響

1980年代以降も精力的に活動を続け、ジャズアルバムのリリースや海外公演なども行いました。しかし、1998年にすい臓がんが発覚し、闘病生活に入ります。病と闘いながらもステージへの情熱は衰えませんでしたが、2000年7月2日、59歳の若さで惜しまれつつこの世を去りました。彼女の唯一無二の歌声と世界観は、後進のアーティストにも大きな影響を与え、その楽曲は今なお多くの人々に歌い継がれる不滅のスタンダードナンバーとなっています。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
1990/07/21 レディ・ブルース
1982/–/– 横浜みれん坂
1969/11/05 国際線待合室 千坊さかえ 花礼二 近藤進
1969/07/01 池袋の夜 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三
1968/07/05 長崎ブルース 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三
1968/01/05 伊勢佐木町ブルース 川内康範 鈴木庸一 竹村次郎
1966/06/21 恍惚のブルース 川内康範 浜口庫之助 寺岡真三

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2000/10/21 青江三奈のすべて 伊勢佐木町ブルース、池袋の夜、長崎ブルース、恍惚のブルース など
1993/–/– THE SHADOW OF LOVE Cry Me A River、Bourbon Street Blues (伊勢佐木町ブルース) など
1990/–/– レディ・ブルース

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
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受賞歴

  • 1968年 第10回日本レコード大賞 歌唱賞(伊勢佐木町ブルース)
  • 1968年 第1回日本有線大賞 スター賞(伊勢佐木町ブルース)
  • 1969年 第11回日本レコード大賞 歌唱賞(池袋の夜)
  • 1990年 第32回日本レコード大賞 優秀アルバム賞(レディ・ブルース)

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青木光一|昭和歌謡を彩った伝説の歌手、その軌跡に迫る https://kashumeikan.wiki/aoki-koichi/ Wed, 03 Sep 2025 06:41:47 +0000 https://kashumeikan.wiki/?p=1562

青木光一は、伸びやかで張りのある歌声と、誠実な人柄で心を震わせる昭和の国民的歌手です。代表曲「柿の木坂の家」「早く帰ってコ」、そしてヒットのきっかけとなった「元気でね、左様なら」などで見せる表現力は圧巻です。戦後の日本を歌で明るく照らし、その功績は今なお歌謡史に燦然と輝いています。

プロフィール

芸名 青木光一(あおき こういち)
本名
出身地 佐賀県唐津市
生年月日 1926年2月17日(99歳)
血液型 情報なし
身長
レーベル 日本コロムビア
所属事務所
尊敬する歌手
趣味・特技
デビュー 1950年
デビュー曲 きらめくスバル
公式サイト 日本コロムビア | 青木光一
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube なし
ファンクラブ なし
別名
関係者 青木はるみ(実妹)、永田とよ子(元妻)

青木光一の来歴|演歌界を彩った軌跡

戦前・戦中

佐賀県唐津市で生まれた青木光一は、幼い頃に満州へ渡りました。 1944年に旧制中学を卒業後、奉天中央放送合唱団に入団し、そこで指導をしていた作曲家の米山正夫と出会います。 しかし、翌年には関東軍に入隊し、終戦後はシベリア抑留という過酷な経験をしました。 この苦難の時代が、後の彼の歌に深い情感を与えることになります。

デビューとブレイク

1949年にシベリアから帰国後、先に帰国していた米山正夫の推薦を受け、1950年に日本コロムビアに入社し「きらめくスバル」でデビューを果たします。 当初はヒットに恵まれませんでしたが、1953年の「元気でね、左様なら」で人気に火が付き、1955年の「小島通いの郵便船」も大ヒットし、一躍スター歌手の仲間入りを果たしました。

黄金期と国民的歌手へ

作曲家・船村徹との出会いが、青木光一をさらなる高みへと導きます。1956年の「早く帰ってコ」が大ヒットすると、翌1957年には望郷演歌の名作「柿の木坂の家」が空前の大ヒットを記録しました。 この曲で彼の人気は不動のものとなり、同年「二代目船長さん」でNHK紅白歌合戦に初出場を果たします。 その後もヒット曲を連発し、昭和を代表する国民的歌手として一時代を築きました。

現在

長年にわたり日本の歌謡界に貢献し、1983年からは日本歌手協会の理事、理事長、会長を歴任し、現在は名誉会長を務めています。 平成に入ってからも、第40回日本レコード大賞で功労賞を受賞するなど、その功績は高く評価されています。 90歳を超えた現在も、イベントに出演するなど精力的に活動を続けており、その歌声は今も多くの人々に愛され続けています。

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
1960年 オーロラ鷗
1959年 出港前夜
1957年 柿の木坂の家 石本美由起 船村徹
1957年 二代目船長さん
1956年 早く帰ってコ 船村徹
1955年 小島通いの郵便船
1953年 元気でね、左様なら
1952年 月が出ている港町 野村俊夫 米山正夫
1950年 若い嵐
1950年 きらめくスバル

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2018/07/18 青木光一全曲集 柿の木坂の家 柿の木坂の家、早く帰ってコ、小島通いの郵便船 など
2013/08/21 決定盤 青木光一大全集 柿の木坂の家、早く帰ってコ、元気でね、左様なら など
2007/11/21 思い出のアルバム 柿の木坂の家、早く帰ってコ、小島通いの郵便船 など
2004/08/25 青木光一全曲集 柿の木坂の家、早く帰ってコ、僕は流しの運転手 など

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
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受賞歴

  • 1950年 芸能新聞人気投票新人賞
  • 1999年 第40回日本レコード大賞 功労賞
  • 2005年 第38回日本作詩大賞 特別賞

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