春日八郎は、その力強く張りのある美声で、戦後日本の歌謡界に「演歌」というジャンルを確立させたパイオニアです。代表曲「赤いランプの終列車」、そして社会現象にまでなった「お富さん」「別れの一本杉」は、今なお多くの人に愛唱されています。その歌声は、苦難の時代を生きた人々の心に寄り添い、日本の音楽史に不滅の輝きを放っています。
プロフィール
芸名 |
春日八郎(かすが はちろう) |
本名 |
渡部 実(わたべ みのる) |
出身地 |
福島県河沼郡会津坂下町 |
生年月日 |
1924年10月9日(1991年10月22日没、享年67) |
血液型 |
情報なし |
身長 |
– |
レーベル |
キングレコード |
所属事務所 |
春日プロ |
尊敬する歌手 |
藤山一郎 |
趣味・特技 |
– |
デビュー |
1952年12月 |
デビュー曲 |
赤いランプの終列車 |
公式サイト |
キングレコード公式サイト |
公式ブログ |
なし |
X(Twitter) |
なし |
Facebook |
なし |
Instagram |
なし |
YouTube |
なし |
ファンクラブ |
なし |
別名 |
歌川俊 |
関係者 |
三橋美智也、村田英雄(「三人の会」を結成) |
春日八郎の来歴|昭和の歌謡界を駆け抜けた軌跡
歌手への道
福島県会津坂下町の農家に生まれ、中学を中退して上京しました。浅草で観た藤山一郎のショーに感銘を受け、歌手を志し東洋音楽学校に入学します。 戦後、キングレコードの歌謡コンクールに合格するも、すぐにはデビューできず、先輩歌手の前座を務めるなど苦難の多い下積み生活を送りました。 生活は苦しく、一時は歌手の道を諦めようとしましたが、後の妻となる恵子さんの励ましを受け、夢を追い続けました。
演歌歌手第一号として
1952年、28歳にして「赤いランプの終列車」でついにレコードデビュー。 この曲は50万枚を売り上げる大ヒットとなり、長い下積み生活に終止符を打ちました。 続く1954年に発売された「お富さん」は、子どもから大人までが口ずさむ社会現象となる爆発的なヒットを記録。 そして翌1955年の「別れの一本杉」も大ヒットし、春日八郎は戦後歌謡界における最初の演歌歌手として、その地位を不動のものとしました。
晩年と功績
その後も数多くのヒット曲を世に送り出し、日本の歌謡界をリードし続けました。 昭和63年には、親交の深かった三橋美智也、村田英雄と共に「三人の会」を結成し、演歌の活性化のためにチャリティーコンサートを開くなど精力的に活動。 1989年には紫綬褒章を受章しました。 生涯現役を貫き、1991年10月22日、67歳でその生涯に幕を閉じました。 彼の歌声と功績は、日本の演歌の礎として今なお燦然と輝いています。
ディスコグラフィ
シングル(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
最高順位 |
1967年 |
長崎の女 |
たなかゆきを |
林伊佐緒 |
– |
– |
1958年 |
山の吊橋 |
横井弘 |
吉田矢健治 |
– |
– |
1957年 |
あん時ゃどしゃ降り |
矢野亮 |
佐伯としを |
– |
– |
1955年12月 |
別れの一本杉 |
高野公男 |
船村徹 |
– |
– |
1954年8月 |
お富さん |
山崎正 |
渡久地政信 |
– |
– |
1952年12月 |
赤いランプの終列車 |
大倉芳郎 |
江口夜詩 |
– |
– |
アルバム(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
収録曲 |
1983年 |
心の演歌 |
– |
1981年 |
明日への出発 |
– |
1977年 |
北の情緒 |
– |
1976年 |
春日八郎の長崎情緒 |
– |
1975年 |
春日八郎の大阪情緒 |
– |
1972年 |
熱血の歌声 |
– |
DVD(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
備考 |
現時点でリリース情報は取得できませんでした |
受賞歴
- 1973年 芸術祭大衆芸能部門大賞
- 1989年 紫綬褒章
関連ニュース
ライブ・コンサート・イベント情報
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情報源・参考リンク