梓みちよは、清純なイメージの「こんにちは赤ちゃん」と、大人の魅力を開花させた「二人でお酒を」という二つの国民的ヒット曲で知られる伝説的な歌手です。代表曲「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」、そして「メランコリー」で見せる表現力は圧巻です。その華やかなキャリアと、歌謡史に刻んだ大きな足跡は今なお多くの人々に記憶されています。
プロフィール
芸名 |
梓 みちよ (あずさ みちよ) |
本名 |
林 美千代 (はやし みちよ) |
出身地 |
福岡県福岡市博多区 |
生年月日 |
1943年6月4日(没年76歳) |
血液型 |
O型 |
身長 |
情報なし |
レーベル |
キングレコード、CBS・ソニー 他 |
所属事務所 |
渡辺プロダクション、プロダクション尾木 他 |
尊敬する歌手 |
– |
趣味・特技 |
– |
デビュー |
1962年 |
デビュー曲 |
ボッサ・ノバでキッス |
公式サイト |
なし |
公式ブログ |
なし |
X(Twitter) |
なし |
Facebook |
なし |
Instagram |
なし |
YouTube |
なし |
ファンクラブ |
なし |
別名 |
– |
関係者 |
桂三枝(現・六代 桂文枝)※「新婚さんいらっしゃい!」で共演 |
梓みちよの来歴|演歌界を彩った軌跡
デビューと「こんにちは赤ちゃん」での大成功
福岡女学院高校を中退後、宝塚音楽学校へ進学。 [1] 在学中に渡辺プロダクションのオーディションに合格し、同校も中退して上京しました。 [1] 1962年、「ボサノバ娘」のキャッチフレーズで「ボッサ・ノバでキッス」でデビュー。 [5] そして翌1963年、永六輔氏作詞、中村八大氏作曲の「こんにちは赤ちゃん」が空前の大ヒットを記録します。 [13] この曲で第5回日本レコード大賞を受賞し、一躍トップスターの仲間入りを果たしました。 [5, 11] NHK紅白歌合戦にも初出場し、昭和天皇の前で歌唱を披露するなど、国民的な人気歌手となりました。 [18]
「二人でお酒を」での華麗なる転身
「こんにちは赤ちゃん」の清純なイメージが定着したことに悩み、一時期は人気が低迷します。 [7] しかし1974年、作詞・山上路夫氏、作曲・平尾昌晃氏による「二人でお酒を」が大ヒット。 [2, 3] あぐらをかいて歌う斬新なパフォーマンスも話題となり、大人の歌手としてのイメージチェンジに大成功しました。 [2] この曲で第16回日本レコード大賞・大衆賞など数々の賞を受賞し、紅白歌合戦にも5年ぶりに返り咲きました。 [1, 4] この成功は、彼女のキャリアにおける最大の転換期と言えるでしょう。
マルチな活躍と晩年
歌手活動と並行し、人気番組「新婚さんいらっしゃい!」の2代目アシスタントを務めるなど、タレントとしても幅広く活躍しました。 [1] その後も「メランコリー」(1976年)、「よろしかったら」(1979年)など、ヒット曲を連発。 [7] しかし2020年1月29日、マネージャーが都内の自宅で倒れているのを発見され、その場で死亡が確認されました。死因は心不全で、76年の生涯に幕を閉じました。 [1, 12]
ディスコグラフィ
シングル(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
最高順位 |
1979年9月21日 |
よろしかったら |
阿木燿子 |
筒美京平 |
– |
圏外 |
1976年9月21日 |
メランコリー |
喜多條忠 |
吉田拓郎 |
萩田光雄 |
8位 |
1974年3月25日 |
二人でお酒を |
山上路夫 |
平尾昌晃 |
森岡賢一郎 |
11位 |
1963年11月5日 |
こんにちは赤ちゃん |
永六輔 |
中村八大 |
中村八大 |
1位 |
1962年 |
ボッサ・ノバでキッス |
水島哲 |
J.Sherman, N.Sherman |
宮川泰 |
圏外 |
アルバム(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
収録曲 |
現時点でリリース情報は取得できませんでした |
DVD(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
備考 |
現時点でリリース情報は取得できませんでした |
受賞歴
- 第18回日本レコード大賞 編曲賞(1976年) – 「メランコリー」
- 第16回日本レコード大賞 大衆賞(1974年) – 「二人でお酒を」
- 第5回日本歌謡大賞 放送音楽賞(1974年) – 「二人でお酒を」
- 第5回日本レコード大賞 大賞(1963年) – 「こんにちは赤ちゃん」
関連ニュース
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情報源・参考リンク