市丸は、粋な美貌と「ビクターの鶯」と称された澄んだ歌声で心を震わせる伝説の芸者歌手です。代表曲「天龍下れば」で一世を風靡し、戦後は「三味線ブギウギ」を大ヒットさせました。ライバルであった小唄勝太郎と共に「勝市時代」を築き、昭和初期の歌謡界に君臨。その歌声は、古き良き日本の情緒を今に伝える貴重な文化遺産となっています。
プロフィール
芸名 |
市丸(いちまる) |
本名 |
後藤 まつゑ(ごとう まつえ) |
出身地 |
岐阜県岐阜市 |
生年月日 |
1906年7月16日(1997年2月17日没、享年90) |
血液型 |
情報なし |
身長 |
– |
レーベル |
ビクター |
所属事務所 |
– |
尊敬する歌手 |
– |
趣味・特技 |
端唄、小唄 |
デビュー |
1931年 |
デビュー曲 |
花嫁東京 |
公式サイト |
ビクターエンタテインメント | 市丸 |
公式ブログ |
なし |
X(Twitter) |
なし |
Facebook |
なし |
Instagram |
なし |
YouTube |
なし |
ファンクラブ |
なし |
別名 |
江戸小唄市丸、ビクターの鶯 |
市丸の来歴|昭和の歌謡史を彩った軌跡
浅草の芸者から歌手へ
10代で長野県の温泉地で半玉(芸者の見習い)としてキャリアをスタートさせ、その後上京し、東京・浅草の芸者となりました。その美貌と優れた芸で瞬く間に人気芸者となり、文人や著名人など多くの顧客に愛されました。その評判がレコード会社の目に留まり、1931年にビクターレコードから「花嫁東京」で歌手としてデビュー。芸者としての高い人気と実力が、歌手としての成功への大きな足掛かりとなりました。
「天龍下れば」と黄金時代
1933年に発表した「天龍下れば」が、当時の流行作曲家・中山晋平の曲であったこともあり、空前の大ヒットを記録。この曲で市丸は一躍スター歌手の座に上り詰めました。同じくビクターに所属していた芸者歌手の小唄勝太郎と共に「勝市時代」と呼ばれる一時代を築き、昭和初期の歌謡界を牽引する存在となります。その澄んだ美しい歌声は「ビクターの鶯」と称され、多くの人々を魅了しました。
戦後の活躍と「三味線ブギウギ」
戦時中も歌手活動を続け、戦後はその人気がさらに高まります。1949年に服部良一作曲の「三味線ブギウギ」を発表。三味線の音色とモダンなブギウギのリズムが融合したこの曲は、戦後の明るい世相を象徴する大ヒットとなり、市丸の新たな代表曲となりました。この曲は美空ひばりをはじめ多くの歌手にカバーされ、時代を超えて愛される名曲となっています。
伝統芸能の継承者として
歌手活動の一方で、江戸時代から続く日本の伝統音楽である端唄や小唄の発展と継承にも尽力しました。1950年には自身の名を冠した「江戸小唄市丸派」を創設し、家元として後進の指導にあたりました。その功績が認められ、1981年には勲四等宝冠章を受章。晩年まで精力的に活動を続け、日本の伝統音楽の保存に大きく貢献しました。
ディスコグラフィ
シングル(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
最高順位 |
1949/10/– |
三味線ブギウギ |
佐伯孝夫 |
服部良一 |
服部良一 |
圏外 |
1936/–/– |
ちゃっきり節 |
北原白秋 |
町田嘉章 |
– |
圏外 |
1933/–/– |
天龍下れば |
長田幹彦 |
中山晋平 |
– |
圏外 |
1931/–/– |
花嫁東京 |
西條八十 |
中山晋平 |
– |
圏外 |
アルバム(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
収録曲 |
2005/06/22 |
“SP盤復刻”絕唱!市丸 |
天龍下れば、三味線ブギウギ、ちゃっきり節 など |
1995/03/24 |
市丸 全曲集 |
天龍下れば、三味線ブギウギ、伊那節、ちゃっきり節 など |
DVD(発売日順:新→旧)
発売日 |
タイトル |
備考 |
現時点でリリース情報は取得できませんでした |
受賞歴
- 1970年 第12回日本レコード大賞 特別賞
- 1972年 紫綬褒章
- 1981年 勲四等宝冠章
ライブ・コンサート・イベント情報
日時 |
会場 |
イベント名 |
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情報源・参考リンク