PR

小林旭|銀幕と歌謡界を制した永遠のマイトガイ

小林旭は、「マイトガイ」の愛称で一世を風靡した、日本を代表する俳優であり歌手です。代表曲「昔の名前で出ています」「自動車ショー歌」、そして世代を超えて愛される「熱き心に」で見せる表現力は圧巻です。近年は自身のYouTubeチャンネルを開設するなど、今なお第一線で活躍を続けています。

プロフィール

芸名 小林 旭 (こばやし あきら)
本名 小林 旭 (こばやし あきら)
出身地 東京都世田谷区
生年月日 1938年11月3日(86歳)
血液型 AB型
身長 180cm
レーベル マイトガイレーベル 他
所属事務所 株式会社小林旭事務所
尊敬する歌手
趣味・特技 ゴルフ、柔道(五段)
デビュー 1956年(俳優)、1958年(歌手)
デビュー曲 女を忘れろ
公式サイト なし
公式ブログ なし
X(Twitter) なし
Facebook なし
Instagram なし
YouTube マイトガイチャンネル -小林旭 公式YouTube-
ファンクラブ なし
別名 マイトガイ
関係者 美空ひばり(元妻)、青山京子(元妻)

小林旭の来歴|演歌界を彩った軌跡

デビューと日活黄金時代

1955年に第3期日活ニューフェイスに合格し、翌1956年に映画『飢える魂』で本格的にスクリーンデビューを果たします。 [2] 1959年の映画『南国土佐を後にして』で一躍脚光を浴び、続く「ギターを持った渡り鳥」から始まる「渡り鳥シリーズ」や「銀座旋風児(マイトガイ)シリーズ」が大ヒット。 [1, 2] 石原裕次郎と並ぶ日活のトップスターとして黄金時代を築き上げました。 [2] 歌手としても1958年に「女を忘れろ」でデビューし、「ダイナマイトが百五十屯」や独特の節回しから”アキラ節”と呼ばれた「ズンドコ節」などがヒットしました。 [2]

歌手としての成功と独立

日活退社後はフリーの俳優として『仁義なき戦い』シリーズなどで重厚な演技を見せる一方、歌手活動にもさらに力を入れます。 [1, 2] 1964年にクラウンレコードへ移籍し、「自動車ショー歌」や「ついて来るかい」など数々のヒットを記録。 [2] 特に1975年に発売された「昔の名前で出ています」は、自ら全国のキャバレーを回る地道なプロモーション活動が実を結び、大ヒットとなりました。 [35] この頃、自身の会社を設立しますが、後に多額の負債を抱えるなど、波乱の時期も経験しました。 [1]

現在

1985年、阿久悠氏作詞、大瀧詠一氏作曲の「熱き心に」がCMソングとして起用され、世代を超えた大ヒットを記録し、その存在感を改めて示しました。 [3] その後も自身のレーベル「マイトガイレーベル」を設立するなど、精力的に音楽活動を続けています。 [18] 2020年には公式YouTubeチャンネル「マイトガイチャンネル」を開設し、往年のファンだけでなく新たな層にもその魅力を発信。 [1] 2024年には第47回日本アカデミー賞で会長功労賞を受賞するなど、今なお日本の芸能界に多大な影響を与え続けるレジェンドです。 [1]

ディスコグラフィ

シングル(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
1985年11月20日 熱き心に 阿久悠 大瀧詠一 大瀧詠一 10位
1977年10月1日 北へ 石坂まさを 叶弦大 9位
1975年1月25日 昔の名前で出ています 星野哲郎 叶弦大 斎藤恒夫 3位
1970年10月5日 ついて来るかい 遠藤実 遠藤実 10位
1967年12月25日 純子 圏外
1965年12月25日 さすらい 西沢爽 狛林正一 圏外
1964年10月10日 自動車ショー歌 星野哲郎 叶弦大 9位
1961年6月20日 北帰行 宇田博 宇田博 圏外
1958年9月20日 ダイナマイトが百五十屯 関沢新一 船村徹 圏外

アルバム(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 収録曲
2013年4月17日 小林 旭 ニュー・ベスト ~素晴らしき哉人生~ 16曲
2008年11月5日 小林旭の世界 100曲

DVD(発売日順:新→旧)

発売日 タイトル 備考
現時点でリリース情報は取得できませんでした

受賞歴

  • 第47回日本アカデミー賞 会長功労賞(2024年)
  • 第15回FNS歌謡祭 最優秀歌唱賞(1986年) – 「熱き心に」
  • 第8回日本有線大賞(1975年) – 「昔の名前で出ています」

関連ニュース

ライブ・コンサート・イベント情報

日時 会場 イベント名
現時点でイベント情報は取得できませんでした

情報源・参考リンク